ヨーナブログ

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慈悲とは無条件で許すことである

不安だ、これが人間の性なのか。面倒くせーどんだけ心配性なんだよ。お前はわいのなんなんだ。反芻思考やら自動思考やらという名のある物がわいにとって1番の宿敵である。そいつはなんの前触れもなくやってくる、そうわいのことが大好きなのである。

 

それは超がつくほどの心配性でことあるごとに後悔やら不安やらで安全な行動をとれせようとする。かなり無意識に従っている部分があると思うしわい自身が心配になることもある。とても煩わしいのである。

 

それは元来暇な奴が好みのようで子供には恐れられているが、ある程度理解したらそれほど怖いものではなく自由にともなくリスクみたいの物である。このような社会的性質をもつ我々が生き延びてきたのだからしょうがないリスクである。

 

それは極たまに極度の不安、パニック状態に陥ることがある。その要因は寝不足、急な不安などである。この世界の自由さを認識できればリカバリーできると思うが、誰かに頼るのが普通だろう。

 

それは常に居場所を求めている。具体的には常に安全な地位や良好な人間関係、害されない関係、誰かの役にたつこと、好かれるを方法、愛される方法を求めている。やはりそれに囚われると完全に利己的になるのでうまいそれとの付き合い方が求められる。

 

それに関わる一番の弊害は、隷属的な行動をとってしまうことだと思う。その人に従うことが安全であるという利己的な考えで驚くほど簡単に自分の尊厳を踏み躙ってしまう。この遍く宇宙でその行動が正しいことなのか今一度考えることが必要だと思われる。行動に迷ったらより大きな居場所に従った方がいいとあどらーが言っていた気がする。

 

てな感じでそれはわいの1番の親友である。切っても切り離せない関係である。赤い糸で結ばれているのである。そう生まれた時から結婚の約束をされた許嫁である。決まっている以上はどう向きあうかがとても重要である。誠心誠意わいはそれを受け入れよう。それは悪ではないただ怖くて仕方がない子供なんだ。無下にするのは良くない。思いやりを持ち、慈悲深く、不安に助けを求めるそれに優しくしようじゃないか。子供なんだから間違うことだってある、人間誰しも間違う、許す気持ちが本当に大切だと思う。許せるように工夫するのがわいの役目かもしれない。

 

慈悲とは無条件で許すことである。それを許せるようになった時が我々が本当の意味で自由になることだと思う。あらゆる柵、縛りという正義で蹂躙することなく、全てと分かち合えて時こそ、、、