ヨーナブログ

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勇者アバロンは絶対に媚びない・慈悲とは無条件であること

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僕らは立ち向かわなくてはならない。勇者アバロンはそう誓った。

 

慈悲とは無条件で許したり、頼ったりして、苦を取り除くことだが、媚びて頼ることは絶対に慈悲ではないと思う。媚びる時点で何かの縛りという苦を受けることになる、それを頼っている間続けなくてはならない、それから頼られている人は優越感を感じより相手を縛るだろう。

 

そのような頼る条件は自分を苦しめるものである。〇〇したら〇〇してもらえる。という考えは不安になる。だから勇者アバロンは決して媚びない。そして頼る条件を呑む時は強制された時ではなく、自ら決めた時だけだ。

 

つまり、慈悲とは無条件である、条件をつけた時点で苦を取り除くことができなくなるという本末転倒に陥る。僕は王様の支援金をもらい、国を救う条件も呑むが、仕えることはしない。自由に魔王を倒す。僕の渾身の一撃は自由でないと発揮されないからね。

 

それから媚びさせることに長けたクソ野郎がそこらじゅうにいることだろう。人生は苦難の連続だ、媚び続けるつもりか、お前の正義はそいつの優越感より軽いのか。僕はそんな奴は討ち滅ぼすべきだと思う。媚びる苦より頼れない苦の方が重かったとしても、媚びる苦はいずれ当たり前になってしまうから、媚びない方法を探すのが人類の幸福だと思う。

 

今日は1日魔物を蹂躙し続けた、とても疲れた。魔物とに命のやりとりで安心とか不安とか、優越感とか劣等感とかを超えた自由がこの世界にあった。とくにワイバーンは手強かって片翼を切り落としても微塵も怯まないその姿は強者そのものであった。だが最後は我が秘剣の餌食となったのだがな。わっははは

 

ワイバーンの肉はうまい、赤みが多く脂身は程よく食っただけで僕の筋肉になりそうな代物であった。僕が最強になる道はこれからだ、道半ばで強者にやられるかもしれないが、僕はやられることがあっても決して諦めない。それは僕の求める強さだ。

 

そういえばゴブリンの強さもなかなかだったな、力は人間の二分の一ほどしかないが、三匹で狡猾に襲ってきた。砂をかけ僕の目を晦まし、斧で足を潰しにきやがった。それに対して僕は防御魔法の煙幕でなんとか斧を交わすことができ、攻撃魔法火炎弾で全て始末した。

 

狡猾と強さとの違いはなんだろうか、正々堂々とか剣士に恥じないとかあるけど負けるよりは狡猾に勝つのを選ぶのが普通で生存本能だろう。でも負けても死なないのなら鍛錬と同じで強くなれるのではないだろうか。強くなるために負けてみるのも悪くないかも。