ヨーナブログ

いろんなことを書いてます

他人の目

人は常に他人の目を気にしてる。他人に嫌われないように、捨てられないように、蔑まれないように、侮られないように、笑われないように。まるで足枷をされているかのように身動きを封じられる、思考も感情すらも縛られる、誠に腹ただしい性である。

 

他人がどう思いどう行動してこようが大して問題にならないというのにその僅かな心配が足枷となってしまう。足枷を外す方法はあるだろうか。心配ごとを減らそう。どうしたら減らせるだろうか。

 

心配事に注目しない習慣を作る。

 

人は注目している先によって幸不幸が決まっていると言っても過言ではないと思う。多少は身の回りに起こる出来事によると思うがほとんどは物事の捉え方注目する場所によって幸不幸が変わる。

 

注目する場所を変えるのは大変。急にショートケーキの苺単体の味に注目するようにしても1、2回で忘れてしまう。だから常に思い出せる注目する場所を作っておこう。わいの場合ブログを書くにあたって(文章力をつけるために書く)に注目することに決めた。これできっと足枷が外れてくれるだろう。

 

とにかく自分の足枷に気づくことが重要だと思う。ブログを書くにあたってわいの足枷は実力不足を受け入れて相応の目標を立てることによりはずれると思う。具体的には起承転結があるブログはまだかけないので、適当に書くことから始めてみたりして勘を養う。

 

しかし皮肉課程理論なるものが存在する、例えばシロクマを考えないようにしなさいと言われたら余計に頭から離れなくなる現象である。

 

どうしたら皮肉課程理論からの縛りから抜け出せるだろうか。考えないようにするという受動的に行動から受け入れるという能動的な行動をする。たとえばシロクマを受け入れるとか。

 

他人の目はわいらが思うより怖いものではないことは確かだと思う。その点でこの世界はある程度安全であり他者をほぼ敵ではなく味方であると思っておいて損はないと思われる。戦争は一年に一回ほど起きているが日本では行われないし、重犯罪発生率を見てもみの回りで起きることはまぁないと思われる。

 

なので最低限の道徳さえ守れば何してもいいってことだ。わいらができることなんで限られている。だからこそ最大限自由に他人の目を気にせず行動する勇気が必要になると思う。足枷を外したり、引きずったりしながら自分の力を最大限発揮することがこの世界では求められると思う。なぜなら我々には適性があるらしいから、空海アインシュタインも適正について言及している。早く適正を見つけよう。