ヨーナブログ

いろんなことを書いてます

カテーリナ

今日も太陽が登り世界を明るく照らす。僕たちはこのサイクルを受け入れるしかない。太陽は待ってはくれず、僕らは時が止まってくれたらと望む。指パッチンやザ・ワールドやらで時の経過をゆっくりにして世界を改変する。

 

人はタイムマシンで過去や未来にいくことを望む。この時の流れを変えたいから。川のような変わることのない時の流れで変化を望むのだろう。きっと過去や未来に行くのは楽しいと思う、新しいことだらけで物語にするにはぴったりだ。

 

ひとは賑やかな催しや上品な催しを望む。そこにいる価値に安心するからだろうか。私はそんなことを思いながら貴族のパーティーに足を運んだ。そこには煌びやかな装飾のお城に贅沢な食事があり、着飾った紳士淑女がいた。私も着飾っていたので気後れすることはない。

 

私と同じ年頃の少女が話しかけてきた。「あれみない顔ですわね、私はカテーリナ、あなたのお名前はなんですの?」

 

「私ですか、私はアンナと申します、カテーリナさんはこのパーティーを主催されたお家の方ですね」私はお辞儀をして言った。

 

諦めなけれは諦めない人生になる。そうなふうに私は這い上がった。諦めたら、そこまでだ。全ての可能性を失うことになる。淡々と諦めないことが可能性を作る。

 

残酷で可能性は微塵もないかもしれないが、挑むことに意味がある。なぜなら繰り返しが人生だからである。挑む人生に惨めな人生はつきものだ。一度きりだぜ、またとないチャンスだしもう後戻りはできない、幸不幸の先にある情熱、慈悲のある人生にしよう。

 

居場所はある。ほとんどの居場所はないが、遍く宇宙に僕らの居場所が必ずある、朽ち果てようと。居場所はあるだけいいと思う。ただ不器用でなけれはいい。

 

僕らには遍く宇宙という居場所がある、居場所がないことに不安を感じる必要なんてない。その次にすることは時間のかかる面白そうなことをするに限るのではないだろうか。今は必要ない、身勝手で、ご都合主義だろ人間関係なんて。

 

不安になんかに縛られる必要はない、最後には正しい人にいいことがあるにきまってら。なぜなら現世の不安が生命に関係することは少なく、不正をした事実は変わらないからである。立ちあがろう、しっかり向き合うことも正しさだ。何度失敗したって構わない。停滞の方が恐ろしいだろう。進み続けろどんな障害ものりこえ、君なら乗り越えられる。

 

すべてが試練で乗り越えるたび強くなる。強くなって君に会えることを楽しみにしている。