ヨーナブログ

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ドンソン博士の冒険2

 原始時代に来てから全く寝たい時間に寝れない。頭が騒がしくて寝れない。さぞかし不安なのだろう。獣に襲われないか、原住民に囚われないか、怯えて暮らす日々は睡魔に襲われるまで寝ることができない。逆に睡魔にさえ襲われればどんなに最悪なタイミングだってなることができる。つまり睡魔は電池切れだ。

 変えたい未来まで2000年近くあるからそこまで急ぐ必要はない。だから僕はきのみを食べ、動物を狩り、川の水を飲み生活している。この辺は獰猛な魔物がいなかったのでとても暮らしやすい場所だ。

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 穏やかだ。ここには僕の平穏を脅かすものはないように思われた。でも僕には変えなくてはいけない未来がある。それは片時も諦めない勇気を持ち続けることだ。諦めないことに心変わりしないことに意味がある。

 過酷な旅に出かけよう。諦めないということは望みが叶うまで絶望し続けることだ。いや素晴らしい旅だ。望みはあるが望みを叶えることが全てではない。ありのまま経験できる全てに意味がありそのような道のりこそが人生なのだ。

 一見人生は無意味だが人を愛したり、仕事を愛したり、夢を愛したりと様々の暇潰しが用意されたいる。他者の要求と自己の性質をうまい具合に噛み合わせることができれば割と自由度のあるゲームだ。

 このゲームには時々イベントが発生する。そういう時は戸惑うがやり過ごせば大概のことはなんとかなるだろう。気負う必要はないありのままでいることが最も重要なのだ。

 ありのままでいることがなぜ重要なのかというと、ありのままではないということは何かに苦しんでいるといえるからだ。だがらありのままでいられる努力をしよう。本末転倒のようだがそうではない。

 例えば腹が減ってもお金がなければ食えない、だからありのままで働ける職場を見つける努力をする。この現実と自己の擦り合わせが重要だと思われる。ただ現実に従うのではなく自己と擦り合わせ、適応していくことが人間が目指すべき道なのかもしれない。

 社会は厳しく、人間は自分勝手で、僕らはいつだってこの居心地の悪さに絶望する。でも大丈夫、人生は無意味であり世界は僕らを縛れない。とことんありのままを見つけよう。

 そんなふうなことを考えなから草原に寝転んでいた。前方には川が流れていて太陽の光が反射して綺麗だ。川のせせらぎを心地いい。人は何に注目するかで心地よさが変わるようだ。ずっと心地いいものに注目していたいものだ。