炎座右衛門

物語を作ってます

勇者ゼルの冒険5

「起きてゼル」

 クレナの声が聞こえる。徐々に意識がはっきりしていく。

「ここは……どこ?」

ケルベロスを倒した場所よ、あれからモンスター来なくなったから結界を張ってゼルが起きるのを待ったいたのよ。丸一日眠っていたわ。魔力を使い果たすなんて自殺行為よ、でも助かったわ、ありがとう」

 多分クレナが回復魔法を使ってくれたおかげで体の傷は癒えている。

 日差しが眩しく、周りは木々が茂り、草原が明るく照れられている。

 さらにクレナは続けた。 

「ゼルの魔力タンクが壊れているから直すわ、王国内でも数人しか治せないぐらい重症なんですからね」

 そう言ってクレナは俺の額に手を当てて「クレパスマキナ」と唱えた。それによりと機械が勝手に組み立つように俺の体に光のパーツが入ってくる。

 試しにパージを唱えたが光を掌に作ることができた。

「クレナありがとう」

「こちらこそありがとう、ケルベロスの時は助かったわ」

 ひと休憩をしてまた俺たちは最北の魔城を目指し歩みを進めた。

 

 川に沿って歩く、周囲は木々が生い茂り、日光が木、川、小石を明るく照らす。

 俺たちが道を歩くと思った以上にモンスターが襲ってくるので他の人巻き込む恐れがあり道ならざる道を歩くことにしたのだ。

 自然の雄大さはいつの世も綺麗だ。でも人々はなかなかそれを享受することはできない。それは仲間といないと安心できない性が原因だと思う。もしくは自分の価値を高めるのに自然を享受するのは無意味だと思っているのかも知れない。

 人は価値があると思うと幸福を感じ、価値がないと思うと不幸を感じる生き物だ。なので仏陀は苦しまないように価値を求めるのを否定したのだと思う。仏陀は現実をあるがまま経験するという教えもといた。それは自分の価値を見誤らないための文言だと俺は解釈している。

 でもやはり人の原動力は価値を感じるためだと思う。どうしたらこのような価値の追求から逃れることができるのだろうか。それは自然の美しさを享受して満足すればいいのだろうか、損得勘定も差別もない相手のことを第一の考えた純粋な思いやりを持てばいいのだろうか。

 いや違う、価値を感じたいという感情の本質的な目的は仲間を作り安心したいだと思う。つまりいかにして安心するかが重要かも知れない。人は呼吸の速さでリラックスしたりできる。だからまずはゆっくり腹式呼吸することが価値追求から逃れるすべになりうると思う。

 クレアと一緒に6秒吸い6秒吐くという等間隔呼吸法を実践した。

「等間隔呼吸法は落ち着くし野宿でも早く寝れる気がするわ」

 クレナは髪を払いながらそう言った。